コロナとウズベキスタンと私
ウズベキスタンは砂漠と青の国だと聞いた。砂漠と青ってなんだ?空と砂漠のコントラストがきれいなのか?と思って調べると、青色のタイルが見事なモスクの写真が並んでいた。ペルシアの顔料と中国の陶磁器が合わさることで青の都が生まれたらしい。街の名はサマルカンド。サマルは「人の出会い」、カンドは「街」の意。空も青いという。速攻でフライトを予約した。この目で青を見るんだという謎の使命感が湧いていた。青ってなんだ?概念か?
年が明けて2020年がやってきた。新型コロナウイルスもあっというまに広がった。各国が次々と感染拡大の防止に向けた策を講じ、ウズベキスタン行きの航空券もキャンセルとなった。
青は待ってくれるだろうか。いまもそこにあるのだろうか。仕事の忙しさもウズベキスタンをモチベーションに乗り越えてきたのに、なんでこうなっちまうんだ。
旅は平和だからできるんだって、そう思いました。はやく静まって、平和だねって言いたいね。
仕事がない日々を振り返って
働きはじめて3年が経った。入社して2年はほとんど仕事がなかった。まわりの同期が抱えきれない仕事にひいひい言っている中、毎日定時退社していていいのかと思っていた。わざと仕事を片付けず、次の日の仕事を確保できて安心するくらい歪んでいた。大学を卒業するとき教授は「20代のうちに何をするかが一番大事」と教えてくれた。その台詞と現実に挟まれていつも苦しかった。
2年目が終わる頃、指導してくれていた先輩が別の事業所に異動になった。それから仕事の量も種類も増えた。いつしか目の前の仕事に追われるようになっていた。「勉強する時間は貴重だよ」といつも小声で囁いてきた部長の真意をようやく理解できた。けれど、仕事がないよりはずっとマシだった。
仕事がなくて辞めようかと思っていたとき、面談の場で上司に打ち明けた。入社してから失敗する機会すらもらえない。バッターボックスに立つチャンスが欲しいと。上司はサッカーが好きだったから、ピッチに立つって表現の方が良かったのかもしれない。
まわりの環境のせいにするうちはずっと苦しい。自分が変わろうという気持ちがすごく大事。浅くて当たり前なのかもしれないけど、別に何言われたっていい。仕事ができる日のために準備運動しているんだって思えてたら。少しだけこころが軽くなっていた気がする。
落ち込んだ日も、今がイヤだとしても、スピッツ聴いて、よく寝て、また新しい一日に向かって欲しいって、昔の自分にそう声をかけてあげたい。
あと、よく頑張ってるよ、とも。かけて欲しい言葉がもらえない日常が一番つらいよね。
何もかも嫌になったとき
チュールの『やさしさを考えてみる』はダメダメなときにこそ聞きたくなるくせに、耳にすると胸に刺さって苦しくなる。
何もかも嫌になった 部屋は散らかるし 肌は荒れるし
なんか、だらしない人みたいだ
20代も半ばに差し掛かって、自分らしさってなんだろうと考えてるあたり、未熟すぎてつらくなる。
誰だって下を向いて 冴えない気持ちを
苦しいものを 一つも言えずに黙っているのに
誰一人叫ぶなって言われたとしても 私は叫ぶの
そんなところがいけないんだろうね
好きな人には元気な姿で接したいんだけど、どうしても弱ってる姿を見せてしまったり、甘えてしまったりする。それでも「大丈夫、そんなことないよ」って言ってくれるから、大丈夫なんだなって思える。メンヘラかよ、俺。
自立は永遠のテーマ。
昨日、会社が休みだからドライブしてふたりで滝へ出掛けた。もう意味わかんないくらい滑り台みたいな滝を目にして、ふたりで三脚立てて写真撮った。一緒に笑ってる時間って無敵だ。潮の満ちた海に夕陽が沈む瞬間には間に合わなかったけど、また来ようねって何度も確認し合った。
こどもでごめん。一緒に居てくれてありがとう。これが自分なのかもしれない。
スピッツを観た
ライブというものを観たのは高校の文化祭で同級生がミスチルのコピーバンドを演奏したときが初めてだった。大学生になってAKB48の握手会に行ったとき、ナゴヤドームのグラウンドに設置された小さなステージで、前田敦子がセンターに立ってGIVE ME FIVEを演奏していた。握手した小嶋陽菜の手はシルクかと思うくらいスベスべだった。
良くも悪くも、ライブというものにほとんど縁がなかった。andymoriのファンだった頃、ラストライブを生配信で食い入るように観た記憶もあるけれど、アリーナに立つ自分はそこにいなかった。
VIVA LA ROCKに参加した。さいたまスーパーアリーナで開催される音楽フェスだ。スピッツが出演すると聞いた瞬間にチケットを買っていた。『とげまる』をリピートし続けた高校時代から、旅のお供はいつもスピッツだった。耳でしか会えなかったスピッツをこの目に焼き付けたいと思った。
フレデリックで踊って、sumikaのMCで泣いて、SHISHAMOに惚れて、レキシで大笑いした。最高だった。CDを圧倒的に超えていた。ライブ、めちゃくちゃ楽しいじゃんかよ。低音のビートがスピーカーから届くたび、心臓が弾けた。大好きな曲を歌う人たちが存在していたことに感動した。
スピッツは最高に最高だった(語彙力)。草野マサムネが「素敵な夜にするからさ」と語りかけてくれたとき、世界一幸せになった。音楽に感謝した。
翌朝、右腕の筋肉痛でフェスに行ったことを実感した。
嫉妬とお寿司
昨日、好きな人が大学時代の男友達とふたりで山登りに行った。ドライブして、登山して、山頂でご飯を食べて、帰りに温泉に入って、なんだよそれ、嫉妬しちゃう。
今日、僕とその好きな人で芝桜を見に出掛けた。その道中で山登りの話を聞いた。確かに僕たちは付き合ってないし、誰と遊ぼうが自由だし、価値観なんて人それぞれだけれど、やっぱり脈がないのかなあなんて思って、つらくなってしまう。告白の返事はもう4ヶ月くらいもらえていない。これって世間的にはもうフラれてるんだろうか。私たちって友達だよね〜って空気を早く察しろってことだろうか。それともまた告白した方がいいんだろうか。返事が聞きたいだけなのに。なんでひとりで空回りし続けなきゃいけないんだろう。告白の返事断るなら早めにしてねってお互い笑って話してたのに。いや、女々しすぎるな、これ。
僕たちの未来はいったい。
芝桜も綺麗だったけど、少し離れた芝生広場で、巻き寿司食べながら笑って話してた時間が一番キラキラしてました(おわり)。
一年前の自分へ
神社で末吉のおみくじを引いた。「恋愛 あきらめなさい」という強いお言葉。
えぇぇぇ!?諦められるわけないじゃん…と思わず口から出た。神さまがいつも絶対だなんてずるいでしょ。ちょっと反抗してる。おみくじに一喜一憂する20代とは。
会社に入ってから二度目の春がきた。一年前の自分にひとつだけ伝えられるのなら、「大丈夫だよ。これから素敵な人たちと出会うんだよ」って教えたい。あのとき、こうしておけば良かったとか、こっちを選ぶべきだったとか、ちょっとした後悔はたくさんあるよ。でも、たとえ時間を巻き戻せるとしても、同じ道筋をたどって今の場所にたどり着きたいなあって思ってるよ。一年後の自分も、同じことを言ってくれてたら嬉しい。
都会はね、改札で詰まったら後ろで舌打ちされるし、そうやって急いでる人ばかりだし、みんな焦っているけれど、「なりたい自分」と「なりたくない自分」をしっかり持って頑張ってください。