ツイ禁記録
突然に怖くなった。何を恐れたのかを具体的に述べることは困難であるが、その恐ろしさの根源は理解していた。
iPhoneからTwitterのアプリを全て消し去ったのはもう一週間前。似たようなアプリが五つほど散在していたのが不思議で仕方なかった。
効果はすぐに現れた。iPhoneの電源をつけてもやることがない。就寝時間が早くなった。
三日目。禁断症状が現れた。ついにSafariでTwitterを検索してしまった。あまりのレスポンスの悪さに少なからず苛立ちを覚えたが、もはや全身がTwitterを求めていた。しかし、何故か呟く気は起こらなかった。
それからというもの、Twitterがどうでもよくなった。目の前に広がる世界が愛おしかった。空を見上げる度に、それまで画面を注視するために頭を下げていた自分を恥じた。見るもの、聞こえるもの、感じるもの、何もかもが気持ちよかった。
六日目。ふぁぼという言葉を思い出した。バリアを張っていた兵士たちが倒れていくのが手に取るように分かった。取り憑かれたかのようにTwitterを開き、気になる呟きを根こそぎお気に入り登録した。少し、哀しかった。
七日目。一週間呟かなかったことに、ある種の達成感を覚えた。「取り敢えず、休憩するか」と、妥協することで天使と悪魔が合意した。それからしばらくして休戦協定が結ばれた。ツイ禁戦争は終わったのだ。
もとより、直接の知り合いは誰一人としてフォローしていない。希薄過ぎる人間関係であるのは分かりきっていたが、それがまた心地良かった。ところが、いつしか希薄さの中にそれまで感じたことのなかった豊かさを見ていた。
Twitter。それは魔物の住む世界である。ツイ離れこそが徳のある生き方なのかもしれない。まだまだ先は長い。けれども、確実な前進を遂げていることは間違いないだろう。