言葉は凶器、言葉は花束
言葉は凶器になることがある。ときに暴力よりも人を傷付けてしまうことがある。
誰かが傷付くような台詞を言う人はあまり得意じゃない。
「死ね」とか、「いじめちゃおうかな」とか、そういう言葉は特に耳を塞ぎたくなる。実際に僕の周りにそういう人が何人かいる。
もちろんその人たちにも良い面はたくさんある。けれど、きっとどれだけ仲良くなったとしても、1mmか、それよりももっと浅い溝が残ると思う。
ううん、残しちゃうと思う。
傷付く人のことを考えてしまうんだ。どんな形であれ、まわりを傷付けることを僕は喜べない。
一方で、言葉は花束になることもある。今日は素敵な言葉に出会った。
「一日生きることは一歩進むことでありたい」
「ありたい」っていう意思が好き。
明日はカンとビンのゴミの日。出すのを忘れないようにしよう。