いざ、鳥取砂丘へ(二日目)
増税前最後の一日。朝の四時にホテルを抜け出し、最果ての地、鳥取砂丘へ向かって歩き始めた。
日本海から流れる冷たい風に吹かれながら、街頭の少ない暗い道を進むこと二時間弱。現れたのは紛れも無く砂の世界だった。
前日に降った雨のおかげで、砂はしっとりと柔らかく、靴の中に砂粒が入り込むことはなかった。
ずんずんと足を進める一方、どこへ行くのが正解なのかも分からぬ砂地獄。鳥取砂丘は地獄であった。
砂丘を越え、海へ近づけば、冷たい風が勢いを増した。
はやく帰ろう、そう思った。
午前八時。鳥取駅を跡にした私は、智頭(ちず)行きの列車に乗り込み、ひたすら東を目指した。智頭の「ず」の字が眩しかった。
電車を乗り継ぎ、やってきたのは甲子園球場。ボーっと野球観戦などした。
そして関西に来たからには行かねばならぬ、もりみー(森見登美彦)の待つ土地へ。冬に京都を訪れた際、足を伸ばして寄ろうと思っていたその場所は、見事に年末年始の休業中だったのだ。
そう、すべてはここから始まった。「太陽の塔」である。
氏の同名小説に登場する水尾さんは、その塔を作中でこう言い表している。
「凄いです。これは宇宙遺産に指定されるべきです」
太陽の塔には人間の手を思わせる余地がなかった。それは異次元宇宙の彼方から突如飛来し、ずうんと大地に降り立って動かなくなり、もう我々人類には手のほどこしようもなくなってしまったという雰囲気が漂っていた。岡本太郎なる人物も、大阪万博という過去のお祭り騒ぎも、あるいは日本の戦後史なども関係がない。むくむくと盛り上がる緑の森の向こうに、ただすべてを超越して、太陽の塔は立っている。
一度見れば、人々はその異様な大きさと形に圧倒される。あまりに滑らかな湾曲する体格、にゅうっと両側に突きだす溶けたような腕、天頂に輝く金色の顔、腹部にわだかまる灰色のふくれっ面、背面にある不気味で平面的な黒い顔、ことごとく我々の神経を掻き乱さぬものはない。何よりも、常軌を逸した呆れるばかりの大きさである。
もりみーは太陽の塔のすべてを語っている。すべての答えはここにあったのだ。
一度見てみるべきだとは言わない。何度でも訪れたまえ。そして、ふつふつと体内に湧き出してくる異次元宇宙の気配に震えたまえ。世人はすべからく偉大なる太陽の塔の前に膝を屈し「なんじゃこりゃあ!」と何度でも何度でも心おきなく叫ぶべし
圧倒的なオーラだった。何が凄いのか、凄さを感じる根底には何が存在するのか、それが全くわからない。一周ぐるっと塔の周りを歩いてみた。さっぱり分からぬ。やはり、もう一度来なければいけない。「なんじゃこりゃあ!」と叫ばなければいけない。
その後、記念公園のゲートのすぐ近くにある売店で岡本太郎グッズを買ってしまった自分のミーハー加減に呆れた。
長い旅だった。たったの二日だったと言えばそれまでだったが、何より電車での移動が長すぎた。途中、京都駅で下車して観光などしようとも思い立ったのだが、「京の地を踏むのは二億八千万年後でもいい」と足が云うものだから諦めた。
桜咲く季節にどこか旅行できるなんて滅多にない。春の陽気に感謝しつつ、次にやってくる夏を呪おう。