儚さは白

白は始まりの色。

山を舐めるということ

もう半年以上前の話。高校以来の付き合いになる友達と食事をして、「いつか山でも登ろうよ」と話をした。口約束のほとんどが社交辞令になってしまうことは経験上分かっていたけれど、この約束はどこか違う気がしていた。

そして先日、その日はやってきた。「山は舐めるべきである」という謎の格言のもと、ハイキング気分で登山へ出発する二人。時刻は深夜三時、高速道路を間違えるという山登り以前のアクシデントなんて気にしない。山はどこへも行かないのだから。

登山口へ向かうにつれて、様相は一変してくる。車一台通るのがやっとの一本道、道路を冠水させるほどの湧き水、落石注意の看板。自分たちが選んだ山がとんでもない場所なのではないかとようやく勘付き始めたのがこの辺り。実際、登山者など片手で数えられる程度で、どマイナー過ぎる山だった。

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登山口から見える石段など序章に過ぎず、想像し得なかった険しい山道が牙を向く。ステッキを持ってきて良かったと一安心。山を舐めつつも最大限の対策をするのが世の常というものです。

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何より心配だったのは天気で、この日の予報は生憎の空模様。しかし、山の神様が味方についたのか快晴だった。緑が映える登山道は素晴らしい。

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ひたすらに目の前の道を進むものの、自分たちがどこを目指して登っているのかがいつまで経っても分からなかった。遠くの山を眺めては、あんな遠くなわけがないし…と頂上が行方不明。そして、いつしか雪国へ迷い込んでいた。

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こんな展開は予想だにしていなかった。完全に意表を突かれた二人の進むペースは、雪上の歩きにくさも相まってダウン気味。誰かが残してくれた靴跡らしき模様を頼りに登山を続行する始末で、いくら歩けど五合目にあるという山小屋すら見えず途方に暮れた。

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そしてようやく見つけた山小屋。ここまでどれくらいの時間が経ったのだろう、序盤の山道など記憶の彼方に消え去っていた。そして判明する衝撃の事実。あんな遠くなわけがないし…と言っていた山のてっぺんが目指すべき頂上だった。見るからに傾斜のある雪道が目の前に延びていた。もはや道は呼べなかったけれど。

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そこから必死に登り続け、ついに山頂へ。

道中、ひたすらに喋っていたわけではなく、ホトトギスの鳴き声をBGMにすることもあれば、風の音に耳を澄ませて歩くこともあった。スキー場で誰もいないようなコースに行くと、シーンって“無音の音”が聞こえる感じ、分かるかな…?そんな静謐さに出会えたときには思わず息を呑み、目に映る限りの山々に、この世界に、まるで自分たちしかいないかのような感覚を覚えた。実際、自分たちくらいしかいなかったのかもしれない。幻想的で、神聖で、そして荘厳な世界に立っている非現実さに心が震えた。

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下山こそ気をつけなければいけない。雪の斜面を下っていくのだから。靴に入り込む雪なんて関係ない。いつ崩れるかわからない山の天気を警戒して、ひたすらに麓を目指した。雪道から山道へシフトした瞬間、自分達が山を登っていたんだと実感した。標高が上がれば植物も違い、景色も違う。そんな当たり前のことを思い出したのは麓の一歩手前だった。そうか、登っていたのはひと続きの道だったんだ、と。空と同じだ。

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何もかもが「すごい」の一言に尽きた。本当にすごいのはこの言葉自身だ。雪の上を走り去る鹿も、遠くにそびえる中央アルプスも、大きな岩すらも、その時の感情まで含めて言い表せる言葉なんて他に見当たらなかった。

断じて語彙不足ではない。

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