儚さは白

白は始まりの色。

夢破れて

海外インターンシップの選考を通過することができなかった。

 

来年度の1年間、某省から給付奨学金をもらって某地域の企業でインターンできる某プログラムに応募していた。この2年で3度目の挑戦。今年は初めて書類選考を通過し、国内の面接も乗り越えた。ただ、最後の最後、現地企業とのマッチングが成立しなかった。

気持ちを切り替えるために、これまでのことを順を追って整理しておこうと思う。

1次試験

今年が最後の挑戦だろうということは十分に分かっていた。このプログラムの準備のために、夏休みに参加した別の海外インターンシップを一ヶ月で切り上げて、帰国した。その甲斐もなく書類の作成は結局、提出期限のギリギリに完成した。

担当教授だけでなく学長先生にまで協力していただいた。推薦状の執筆依頼から、自身の応募書類の英訳、封筒の宛名書き、何から何までが切羽詰まっていたが、最終的に納得のいくものを作り上げ、提出することができたと思う。

 2次試験

2次試験の面接にあたっては、端的に伝えたい事を伝える力の大切さを学んだ。これに気付くことできたのは、宝だと思っている。面接の練習にお付き合いいただいた先生方に感謝している。

実際に面接を受けると、日本を代表するような大学の学生が長々とまとまりのない意見を述べていた。人は面接で3行以上のことを聞いていられない。面接は所信表明演説じゃない、会話をしなければ意味がない。これは僕が教わった面接で心がけるべき大切さの一部である。簡単に聞こえるようで難しい。必要のない情報は喋らない。むしろ喋ってはいけない。自慢話もいらない。100%伝わることだけを伝える。

グループディスカッションでは結果をまとめられなかった。ただ、自信だけはあった。あの出来で評価されなかったら、何が評価されるのか、と。結果、国内選考に合格した。

最終選考

トントン拍子で進んでいると感じていたが、ここから先の厳しさは自覚していた。同じ企業をもう一人が志望しており、そこを落ちたら専門に一致する企業はほぼ残っていないに等しかった。その企業だけに照準を絞ってプログラムに応募していたといっても過言ではなかった。

電話面接がキーだったのかもしれない。顔の見えない相手との会話がこれほどまでに難しいとは知らなかった。表情が読めない、会話の終わりが分からない。率直に、英語力が足りなかった。書類で埋められない壁があった。結局、第一企業も、第二志望の企業もマッチングを成立させることはできなかった。準備をしても勝てなかった。

選考を終えて

僕のチャレンジは終わった。通過した他の学生を羨む気持ちは湧かない。少しの運と実力が足りなかっただけだ。だけど、「仕方ない」と割り切ることはできない。ここまで応援してくれた人たちにただただ申し訳ない。(実際にはプログラムに応募していることは研究室外の人には話していなかったが、1度だけ伝えたらあっという間に広がってしまった。噂は怖い)

特に指導していただいた先生方にはなんと謝ればいいのか分からない。また、共同研究をしているお二方からもいつかの朝の8時に電話面接のアドバイスが届いた(寝起きだったが嬉しかった)。研究室のメンバーには「大丈夫だよ」と何度も励ましてもらった。にも関わらず、ダメだった。期待を裏切ったことに耐えられない。

 

そして……

今回の応募には、それまでの2回とは明らかに違うモチベーションがあった。春に欧州の音大へ旅だった女の子を追いかけたかった。彼女は僕の夢だった。自分のためにストイックに努力する姿に憧れていた。彼女のことが好きだった。

このプログラム以外なかったのだ。旅行で行けばいいとか、留学の機会は別にあるとか、また来年頑張ればいいとか、そういう意見は少し間違っている。海外で働いてみたい、欧州のスタンダードを吸収したいという自分の目標が本流で、彼女を追いかける夢が本流ではない(いや、本流ではあるのだがうまく説明できない)。目標と夢がマッチングしていたのがこのプログラムだった。

僕は夢を失ってしまった。目標も学生時代のうちには達成できないだろう。すべてが終わってしまった。

今回の応募で得たものはそれなりにあるが、その使い道が分からない。そう、とにかくダメだったのだ。ダメだった。悔しさのぶつけどころがない。申し訳無さが消化できない。何もかもが終わり、何もかもが消えてしまった。

 

もう今は何もない。