待ち人来ず
やりたくなくてもやらなきゃいけないことが多すぎる。
きれいさっぱり片付けて年を越そうと考えたこともあったけれど、それは難しいみたいだ。
中でも、卒論関係の敵は手強い。
ゴールをイメージできないからスタートもあやふやになる。
ただの現実逃避だってことは自分が一番知ってる。
やらなきゃいけないことも分かってる。
しがらみも何もかも、全部捨ててやりたい。
掃除機で吸い付くして、掃除機ごと海にぶん投げたい。
週末に京都へ行くことも少しつらい。
手紙で日時と場所を指定して待ち合わせたのだけれど、多分その人は来ないと思う。
ううん、信じていないわけじゃない。
でも、信じるのはきっとこれで最後。
裏切られることに疲れてしまったんだ。
来ない相手を待つのはつらいものだよ。
今年もあとわずか。
怒ったっていい
怒鳴り散らしたり、乱れたりしたことは遥か昔の記憶だ。
ないわけがない。
きっと怒るということはそういうことではないんだ。理不尽な物言いにムッとしたり、蔑まれたり見下されたときに不満は出るよ。怒ってるんだ、心では。
でも僕は、その怒りを冷静に言葉にしようとする。だから感情をぶつけるような怒り方にはならないんだと思う。
雪の思い出
目覚めると外は銀世界だった。
今年初の積雪。それも、大雪だ。
カメラをカバンに入れ、いつもよりも早めに家を出た。
何もかもが真っ白。
吐く息も、木々も、空も、何もかもが白色。
北国の住人じゃないから、雪はいつだって新鮮だ。
ある日突然世界が変わって、あっという間に元へ戻って行く。その光景は、僕にとって「冬の桜」とも言える。
小学生のとき、記録的な大雪が降った。確かあのときも12月の暮れだったと思う。
授業は中止となり、全校生徒で雪遊び。ゆとり教育の賜物だ。
僕らはかまくらを作った。
日陰から残雪を調達し、来る日も来る日も溶けゆくその作品を守り続けた。
それでも終わりはやってくる。校庭中を染めた白色は、校内の畑の一角を残すのみとなり、それは最早かまくらとは呼べなくなっていた。
雪が降る度、いや、雪が溶ける度に僕は当時の記憶を思い返す。終わると知っているものに執着して、必死に現実と対峙していたあのときを。
「冬の桜」はいつ咲くかわからない。来年また見られるとも限らない。
昨日と今日も、今日と明日も違う。だから面白いのかな、なんて思ったりして。
自分の言葉で語るということ
自分の気持ちを持つことって意外と難しい。
自分の気持ちを伝えることはもっと難しい。
でも、最終的には自分の言葉で話さなきゃだめなんだよね。
その人自身が語った台詞は信用できる。
信用できる人を嫌いになれるわけがない。
人と人が関わり合い続ける世の中だからこそ、各々の気持ちというのが大切になってくるんじゃないかな。
結局僕たちは、今を懸命に生きるしかない。
後悔や反省は後を絶たないけれど、頑張るしかないんだ。
震災のとき、「頑張れ」という言葉は無責任だと言った人たちがいた。
語られた言葉の表層がその人のすべてであると思い込んでしまうのは、尚早だと思う。
「頑張れ」の奥にあって、「大丈夫」の後ろにある気持ちを分かろうとしたい。
気持ちを伝える人がいれば、気持ちを受け取る人もいる。
ひとつひとつのやり取りが尊い。
今の気持ちをここに残しておきたい。
「頑張るよ」って。
間違い
人の気持ちはがらりと変わる。
昨日と今日では違うことだって多々ある。
変わらないものを見ていたつもりが、いつも変わるものを見ていたのかもしれない。
正直、よくわからない。
経験が、なさすぎる。
2円切手が見当たらない
手紙が返ってきた。
切手が2円不足していたらしい。
念のために90円分の切手を貼ったのに、2円に泣くなんて…。増税の煽りを半年遅れで受けてしまった。
Twitterで呟くのをやめてから2週間が経つ。たまに覗いてはいるんだけど、24時間誰かと繋がっていることが怖くなってログインできなくなってしまった。
吐きそうになる日もあるし、すこぶる調子がいい日もある。波は激しいけれど、前よりは幾分かマシになった。Twitterはもうちょっとだけお休みしよう。
たまたま昨日ログインしたら、こんなツイートを見かけた。
【爪を噛んじゃう人拡散】
唇の皮膚を剥いちゃう人や爪を噛んじゃう人は心が不安定で無意識に自傷してるんで気をつけてあげて。周囲からは元気に見られてわかりづらいタイプだけど、内面は繊細で傷つきやすい。爆発も発散も苦手でじっと溜め込みながら壊れていく。
ぐさっときた。気をつけてあげてと言われても、自分が気をつけるしかない。
「溜め込みながら壊れていく」っていうところが、的を得ているなと思った。誰かに悩みを打ち明けるなんてことは今までほとんどしてこなかった。ずっと自分で解決しようとしてきて、本当に何もかもダメになってしまったこともある。
今はグッとギリギリのところで踏ん張れている。考えるのをやめたからかもしれない。
さて、もう一回ポストへ行こうか。