儚さは白

白は始まりの色。

連絡先を聞き出すには偶然が重ならなければいけない

 

アルバイト先の渡欧する女の子に連絡先を聞いた。

 

別れの季節が近づいてきてしまった - 儚さは白

 

メール不精で人見知りな僕は、連絡先の聞き方が下手くそだ。

何気ない会話からメールアドレスを引き出すことなんて到底できない。

交換した宛先も、時間が経てば連絡さえ取らなくなる。

現に、高校時代のクラスメイトの多くは友人でなく、未だにクラスメイトのままだ。

今思えば、そのクラスで上手くやるための連絡先でしかなかったのかもしれない(言い過ぎだが)。

 

話を戻そう。お互いが頻繁にシフトへ入れないことから、一緒に働く機会はそう多くはなかった。けれど、彼女と一番働いたのはなぜか僕だった。

 

年が明けてからは特にそうだった。週に1、2回アルバイトをすると、必ずと言っていいほど彼女がいた。たまたまお互いの働ける日が重なる。一緒に働く時間が多かったのは、そんな「たまたま」が重なっただけに過ぎない。

 

昨日も一週間ぶりのアルバイトだったが、たまたまは重なった。天気予報では夜から雨が降ると言っていたので、僕は久しぶりに車で出掛けた。たまたまお店が混んだ。たまたま帰る時間が彼女と同じになった。いつもは自転車で来る彼女がたまたま電車で来ていた(たまたま昼に出かけていたらしい)。

 

だから、帰りは車で送って行くことにした。田舎の電車は高いんだ。

 

仕事中に連絡先なんて聞ける引き出しはない。

機会は偶然やってきた。タイミングはおそらくここしかなかった。

 

そうして僕は、彼女と連絡先を交換した。

 

僕は名残惜しいのかもしれない。繋がっていた人と途切れるのが嫌だから、こんなギリギリのタイミングでしか連絡先を聞けないんだ。

 

でも、よかった。あとは、送り出してあげるだけ。

別れの季節が近づいてきてしまった

 

久しぶりにブログを書こうと思う。

今の自分の気持を言葉にしたいと思った。

 

昨日、卒業研究のプレゼン発表が終わった。

自分で納得出来ない部分もある。それでも、褒めてもらえたときは舞い上がりそうなくらい嬉しかった。厳しい意見を言われたときはとてつもなく悔しかった。勉強不足を痛感した。

 

時間は進む。終わったことは終わったことだ。この記憶を脳に焼き付けて、次の目標に向かわなければいけない。

息つく間もなく、これから一週間弱で卒業論文を仕上げる。それが終われば、学会での口頭発表が待っている。スケジュールは止まってくれない。

 

学会が終わったら、旅にでようと思う。それはまた別の機会にでも、ここに書きたい。

 

プレゼンが一段落ついたので、今日は一週間ぶりにアルバイトをした。

一緒に働く音大生の女の子が、春から渡欧し、現地の大学へ入学することを聞いた。彼女は大学三年生なのだが、今通っている大学は中退するんだと、笑いながら話してくれた。

 

格好いいと思った。

純粋に、自分の道を進む彼女が羨ましかった。

 

受かるとは思っていませんでした。語学が不安なんです。私、大丈夫でしょうか。

そんなネガティブな言葉も輝いていた。

 

お別れするまでに連絡先を聞こう。

ヨーロッパで会えたらいいな。

 

消防士になる同学年の男の子もバイト先を去る。月末に彼の送別会を開くことになった。

バイト先で初めて開かれる飲み会だ。少しワクワクしている。

 

春は出会いの季節であるとともに、別れの季節だ。大学の同級生でも、就職組と進学組がいる。もう二度と会えない人もいるかもしれない。

 

別れは、いつだって悲しい。

誰のことも忘れたくないよ。

年末年始の記憶はあまりない


この一週間は、精神状態がかなり安定していた。ようやく薬が効き始めたのかもしれない。

年末から年始にかけての僕は狂っていた。
自覚はしていたものの、どう対処していいのかがわからなかった。

人に相談することもほとんどできず、常に何かと闘っていた。
時には他人に対して攻撃的になり、問題が生じることもあった。

もう何もかもを終わりにしようと、そう決意したこともあった(その気持ちは今も残っている)。

調子が上向いてきたとはいえ、生活のリズムが完璧に戻ったとは言い難い。
今は「なるべくやろう」を合言葉に、活動している。

僕は、だいぶ涙もろくなってしまった。

今年一年を振りかえ……らない


とてもではないが、今年一年を総括するという気にはなれない。

楽しかったこと。
嬉しかったこと。
悲しかったこと。
辛かったこと。

もちろん、たくさんあった。
ただ、今はそれらの気持ちに触れず、ぼんやりと過ごしていたい。

ブログを書く、文章を書くということは僕にとって、精神的に安定な時間をつくるということに他ならない。

どれだけ落ち込んだときでも、腹にある気持ちを表に出してあげ、それを自ら確認することで不思議と落ち着くものだった。

いま、こころがざわついている。

11月の僕と12月の僕はおそらく違う。
大きく違う。

恙なく過ごすという今年の目標は結局叶わなかった。

酷いことを言ったかもしれない


京都で僕は結局、文通相手と会うことはなかった。彼女は、待ち合わせ場所に現れなかった。

そして僕は、そのあとすぐ愛知へ帰らなければいけない急用ができた。
母親が入院することになった。

今でもそのショックから立ち直れていないし、かなり精神的に厳しい。
ただ、母親のことを詳しくブログに書くことはないだろう。

文通相手のTちゃんは大人しい子だ。
なおかつ、変化が激しい。

Aと言ったことが数日後にはBに変わっていて、よくよく話してAに戻ったと思えば、数日後に今度はCになっているという次第だ。

別にそれが悪いわけじゃない。他人の意見を受け入れやすい素直さがあったり、その時々の気持ちに正直なだけなのかもしれない。

ただ、色々なものがぶれやすいだけで。

僕が送ったメールは、彼女との縁を切ることになるかもしれない。
これまで伝えるのを躊躇ってた事柄をぶつけてしまった。

それでも彼女がそのメールの真意を理解してくれるのでは、と信じているのが僕の悪いところだと思う。

どうなるかな。

僕はポジティブじゃない


なにが正しくて、なにが間違っているんだろう。

いつも失敗している気がする。
上手くいくことなんて、滅多にない。

失敗や後悔の思い出ばかりが増えていく。

それを肯定的に捉えれば、懸命に生きた証拠とでも呼べるのかもしれない。

肯定的?
僕はそこまでポジティブな人間ではないじゃないか。
いいように結果をすり替え、過程そのものを捻じ曲げてしまうなんて言語道断だ。

根がネガティブなんだよ。
だから、こんなにもつらいんだ。

上手くいかないって決めつけてしまう自分が、何よりもつらいんだ。

Twitterからの離脱


Twitterをまったく見なくなった(こんなことは一年ぶりだ)

もう十日は見ていない(一年ぶりだ!)


正確には、見たいけど見ていないという表現が正しい。おそらく、閲覧した瞬間に精神が壊れると思う。

最近は、プライベートでブログにも書けないレベルの哀しいことがあった。この週末は、親族も集まって会議が開かれた。とにかく胃が痛い問題だ。

もう、ギリギリのところで生きている。かなりの頻度で嘔吐するし、食欲も減衰している。

それでも生きなくちゃいけない。生きて、生きて、生きなくちゃいけない。

明日が終われば冬休みだから、時間をかけてリフレッシュしよう。冬を越さないことにはどうしようもない。